■郷土史友の会


郷土史友の会とは

本会は、郷土の歴史と文化の学習及び研究を行い、会員相互の親睦を図ることを目的としています。また、本会は、一般社団法人千早赤阪楠公史跡保存会の会員であり、本会の目的に賛同する者で構成されています。

学習会や研究会、そして、資料館内の史跡案内などを行っています。

また、毎年秋には村外研修を行い見聞を深めています。

現在会員は15名。随時募集中です。興味のある方は、是非お問い合わせください。

左の写真は、郷土史友の会の皆さんで村内を歩いて作成した「てくてくマップ」です。


●村外研修 宇陀松山城跡と重伝建地区散策(令和6年9月12日)

 今回の村外研修は奈良県宇陀市の宇陀松山城跡を訪れました。残暑厳しい中汗だくになって標高473mをボランティアガイドさんに案内していただきながら登ってまいりました。

南北朝時代に宇陀三将の一人秋山氏が居城として築かれた松山城跡ですが、その後豊臣家配下、徳川家配下と城主が移行し次第に近世城郭へと改修を重ねてきた城です。しかしながら元和元年(1615)に幕命により宇陀松山城は破却されました。今回のガイドさんの案内においても石垣・礎石などの破壊が発掘調査により明らかになったとの事でした。

 また、宇陀松山地区は秋山氏の築城により城下集落として誕生し、江戸期初頭までに大規模に整備され幕府領として移り変わっていく中で商家町として繁栄しました。江戸時代から続くその伝統的な建造物群が意匠的にすばらしく、平成18年に重要伝統的建造物保存地区に選定されました。


●村内研修 千早城・千早神社・千早山の家(存道館)見学(令和6年7月13日)

ガイド研修を目的として千早城・千早神社について講師の尾谷雅彦氏に説明して頂きながら体験してまいりました。現在では使われていない千早山の家(存道館)も、役場に申請して見学させて頂きました。村のコミュニティバスを乗り継ぎ、金剛山登山口から中腹標高660m附近までの登山となりました。千早城は国指定史跡で日本城郭協会の「日本100名城」の一つです。一帯に神々しさを感じながらの見学会となりました。今後の活動に活かしたいと思います。


●村外研修 日吉大社ボランティアガイド研修・琵琶湖博物館見学(令和5年8月24日)

「比叡山坂本観光ボランティアガイドの会」さんに依頼し、日吉大社周辺の観光ガイドを体験してまいりました。文化や歴史遺産、そして自然風土の事など、心のこもったガイドを学んできました。隣接する旧竹林院では最近SNSで話題になっているスポットで各々素敵な写真を撮ることができました。その後、琵琶湖博物館を見学。今後の活動に活かせる研修会となりました。


●村外研修 京都国立博物館・奈良春日社国宝館見学(令和4年9月6日)

コロナ禍により、令和元年度から中止しておりました村外研修を再開いたしました。折しも京都国立博物館にて「特別展 河内長野の霊地」特別展と、奈良春日大社国宝殿にて「春日大明神に祈る時代を変えた兵」特別展が開催されていました。京都国立博物館では観心寺と天野山金剛寺の重要文化財の数々が展示されており、「名品」から「新発見」のものまで両寺の文化財調査の成果の大公開に、参加者は熱心に見入っておりました。春日大社国宝殿では特別展として今回、国宝の伝楠木正成奉納黒威胴丸(くろかわおどしどうまる)を拝見することができました。


令和2年度 郷土史友の会総会開催 (令和2年6月13日)

例年3月に開催を予定しております総会ですが、今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、延期となり、今回やっと6月に開催の運びとなりました。令和元年度の事業報告・会計報告、令和2年度の事業計画案・予算案について審議し、すべて承認されました。尚、本総会で会則の一部改正があり、会長が交代致しました。また、今後の郷土史友の会の活動は、原則、奇数月の定例会を中心に行っていくことになりました。


村外研修 吉野山(令和1年11月)

郷土史友の会では、11月18日に奈良の吉野山への村外研修を実施いたしました。南朝史跡めぐりということで、今回は如意輪寺、金峯山寺蔵王堂、吉水神社を見学しました。

 楠木正行公ゆかりの如意輪寺では、副住職さんに南朝の興味深いお話をうかがいました。後醍醐天皇は京都を追われ、吉野で4年間在位されました。しかし、京都への思いはぬぐい切れず、臨終の際にはお墓は京都の方(北)を向いて造るようにと言われたそうです。そして、後醍醐天皇陵は現在も京都の方向を向いています。

 南朝の皇居でもあった吉水神社や、金峯山寺蔵王堂は、吉野町ボランティアガイドさんに案内していただきました。蔵王堂では、ちょうど御本尊の金剛蔵王権現の特別ご開帳の時期にあたり、御本尊を拝観することができました。7mの金剛蔵王権現三体は圧巻でした!

 

楠木正成の長男・楠木正行が四条畷の戦いに出陣するに際し、一族郎党とともに如意輪寺にある後醍醐天皇陵に詣で、辞世の歌「かへらじとかねて思へば梓弓なき数にいる名をぞとどむる」を詠んだという。正行は当寺本堂の扉に鏃(矢じり)で辞世の句を刻んだとされ、その扉とされるものが寺に伝わる。



●村外研修 住吉大社(平成30年11月)


●村外研修 四条畷神社(平成30年11月)